インタビューを終えて
お二人の話を聞いて、それぞれに、いわゆる「目からうろこが落ちる」思いがしました。まず、ワウィさんからは「フィリピンに『介護の仕事』は存在しない」ということ。
ワウィ:フィリピンに老人ホームはいりません。大家族ですから、家には誰かお世話をする人がいます。ケアギバーの仕事は外国にあるもので、フィリピンには仕事としてはありません。ですから、外国での仕事をする必要があります。そして、日本にはその仕事があります。
つまり
- フィリピンでは大家族の中で、高齢者の世話が行われている
- したがって、そもそも「介護」が「仕事」としては成立しない
- フィリピン人で介護を学ぼうとしている人は、みな海外でその仕事に就くこと、あるいはフィリピンの外国人用高齢者施設で働くことを目指している
ということになります。
一方、パトリシアさんのブラジル日系人社会の問題では、骨を埋める覚悟で海を渡った人が、老いの時を迎えて、やはり日本的な価値観に守られて過ごしたいと願っているということです。
今回インタビューした2人の研究から、はからずも、現在の日本で交錯する過去と未来の様相―かつて、海外へと働き手を送り出してきたことと、近い将来、海外から働く人を受け入れようとしていることとーを、つぶさに感じさせてもらうことができました。
経済活動の一面で捉えられる海外での労働は、時間の経過とともに、いずれ老いという人生のすがたで積み重ねられていきます。
一家(一族)の経済を誰がどのように支えるか、それはどの家族にとっても根本的な問題です。それを解決するために、人は国境を越えることがあります。異郷で生活基盤を築き、それを必死で維持しようとする者、国にとどまって家族の面倒をみる者、そして、その間を行き来する者と、それぞれが、家族という営みの中で支えあってきました。
時を経て、家族や社会に対する価値観は、現実の暮らしの中で、次第に変化していきます。過去から現在、そしてこれからも、世界の多くの場所で見られることだと思います。
以前、あるフィリピン人ホームヘルパーの方にインタビューしたとき、「私の夢は日本に暮らすフィリピン人の介護をすることです」と話していたことを思い出します。
日本の介護の一翼を担おうとしている外国人ケアギバーたちが、やがて日本の地で老いを迎える日、それがわずか数十年後にはやってくるということも想像に難くありません。
これから日本で専門職として働こうとする人たちに、日本語教育の機会が必要なことはいうまでもありません。しかし、仕事をしながら、それを十分に行うことは決して簡単なことではありません。
願わくば、「日本語でケアナビ」が
まず、仕事をはじめるのに十分な、
そして、仕事をしながら、知識を伸ばしていくのを助けられるような、
さらに、日本でのくらしを支えられるような、
日本語学習支援の道具として使われようにと思います。
一つの道具ですべてが行えるわけではありません。
だからこそ、さまざまな方面からの支援-人もモノもー、と連携していくことがさらに重要です。
日本語学習支援の仕事をするときには、その延長に、日本社会に貢献した人々の、安らかな老いの姿を思い描くことが必要かもしれません。
2007.12.19 15:16 - うえだ


